10月27日~11月1日紙面

老舗風呂屋「花乃湯」間もなく幕

 岡崎市伝馬通三にある銭湯「花乃湯」が三十日で営業を終了する。市内にある昔ながらの銭湯は、これで田町の龍城温泉のみとなる。七十年以上続いた老舗の“湯煙”も、あとわずかでなくなる。

 花乃湯は国道1号をやや北上した伝馬通り沿いにひっそりとたたずむ。入り口付近は伸び切った樹木で覆われているが、この地で七十年以上「まちの風呂屋」として親しまれてきた。六十年間携わってきた経営者の山本廣子さん(78)は「今は赤字で“奉仕”の状態。内部の老朽化も目立つし、潮時かなと思って閉店を決めた」と理由を語る。

 花乃湯は、廣子さんの父・岩三郎さん(故人)が昭和十八(一九四三)年ごろに買い取ったという。もともとは洋食屋を営んでいたが、太平洋戦争で日本の戦況が悪化する中でコメの入手が困難に。戦死などにより隣り合う銭湯が後継者不足となり、買い取ることになった。戦争で焼けてしまい「まるで掘っ立て小屋」だった風呂屋を三十年に建て替え、現在に至っている。

 最も需要があったのは三十~三十五年ごろ。男女の各脱衣所には四十ずつの脱衣箱があるが、それが全て埋まり、外で待ちが出るほどだった。住宅の建て替えで自宅の風呂が使えない人や、付近に住む石工職人とその見習いたちも多く利用した。一時は岡崎市と幸田町だけでも三十軒以上の銭湯があり、近い所では二百㍍間隔だったという。「昔は二十日が定休日と決められていた。だから結婚式を挙げるのも二十日しかなかった」と廣子さん。

 岩三郎さんが五十九年に他界し、その後は妻みよ志さん(平成十年に他界)が、銭湯を切り盛りすることになった。各自宅で風呂が完備され、食事もできる「スーパー銭湯」の出現などにより、徐々に利用者が減少。現在では、一日平均二十~三十人。雨天時は十二、三人という。燃料(重油)の高騰や浴槽のタイルなどの傷みもあり、廣子さんは今年八月に十月いっぱいでの閉店を決めた。「福祉系施設では百円で風呂に入れるところもあると聞く。お金をかけて修繕しても今の状態だったら経営は厳しいまま。『できる限り続けて』という母たちの遺志を引き継いでやってきたけれど、そろそろ限界」と静かに語る。閉店後は建物を取り壊して、駐車場にする予定だ。

 男湯、女湯とも三種類ずつ。通常の「白湯」、電気風呂、ジェットバスの「ハイドロマッサー」。料金は中学生以上三百八十円と安価。壁のタイル画は橋の絵が描かれているが「どこの橋かは分からない」(廣子さん)。男女の境目は高い吹き抜け状になっている。廣子さんらは営業時間終了後、掃除をするついでに入浴することもある。燃料もかつては、おがくずだったが、廃油、重油に変化していった。今は、窯場にあるボイラーのボタン一つで湯が沸かせる仕組みになっている。「名鉄バスの営業所に廃油を取りに行っていたころが懐かしい」と振り返る。

 営業時間は午後五~九時。毎日来る常連客は数人。風呂場や脱衣所では「久しぶり」「きょうは早いね」などの声が飛び交い、時には男湯と女湯の壁を隔てて「あなた、先に出るからね」という声も聞こえる。「寂しいけれど時代の流れ」と閉店を惜しむ声もあるほか、番台に座る廣子さんらに「ここに置いてあるクマの木彫り、もらってもいい?」と、銭湯内の備品を記念にねだる客もいる。やや深めの白湯、時折出が悪くなるシャワー…レトロな銭湯という一言で片づけてしまうには惜しい情緒ある一つの大衆浴場が間もなくその役目を終えようとしている。

(27日付け1面)